6.制服と彼女


 早見町といってもその一帯は主に閑静な住宅街になっている。最寄り駅の咲崎台は徒歩15分程度の距離、朝のラッシュ時に通勤快速の電車が止まりこそするが、普通の時間 帯には各駅停車しか止まらない駅だ。その咲崎台の駅は深山町になる。伊藤が早見町と言うものだからそれほどこの付近に詳しいわけではないし、とりあえず咲崎台で下車してみたのだが幸運な事にそれは正解だったようだ。
 どちらかといえば拓けている北口の正面にあったファーストフード店のガラス越しに晴は改札を通って出てくる人ごみに眼を凝らした。

「…やっぱりな、相武だ」

 休日に、わざわざこんなところにこんな理由で出てくるのにいい格好なんてしてたまるか、と言う事でコンタクトではなく眼鏡をしているのだが、眼を細めて黒い詰襟の学ランの生徒を再確認して確信する。

「やっぱりって?」
「俺、受験の時担任に薦められて…何校か案内書もらったたけど遠いし、電車通ダルくて断った中に見た覚えがあったんだ、あの制服」

 学ランの生徒を指すとまいこと伊藤ははぁー、と感嘆するような声を上げる。

「てめーの面がいくらはっきり見えるようになってもだな、この広い日本の中で早見町はひとつとは限らないし、黒の詰襟学ランの学校だって限りなくたくさんあるだろ。幸い、この付近の学ランの学校は2つっきゃないし、しかもひとつはさっき見ただろ?」
「うん、すっごい青」
「まあ、大方正解だと思うけどな」

 欲を言えば校章も確認できたら完璧なんだけどなと思っても、伊藤にお前の有るべき姿を思い出せと言ってもどこやらに落っことしてきた脳みそは戻らないので仕方ない。
 だが、不本意ながら容量不足のバカという点は訂正しなければならなくなった。

「…お前…相武だったのかよ、マジかよ…」
「え、どうしたんだい菊谷君?」
「菊谷君とか呼ぶな、男に君付けされるとホモみたいなんだよ気色悪い」

 炭酸の抜けかかったジュースを飲み干した。気づくとまいこの注文したクリームソーダがメロンソーダを先に飲んでしまったらしくソフトクリーム部分が残っていて氷の上に溶けかかって鎮座している。おかしな食い方だ、こんな順番で食う奴見たことが無い。

「喜べ、死にぞこ無いお前は峰華大学付属相武高の生徒だと言う事がわかったぞ」
「…えっ」

 店を出ようと席を立つとまいこが慌ててソフトクリーム部分を食べだした。

「しかも久住さんは他校の生徒だってこともわかったぞ」
「ど、どうしっ…うっ!」

 頭を抱えてまいこはテーブルに突っ伏した、冷たいもんを慌ててかっ込んだりするからだ。忙しいというより、アホだ、バカな奴だ。

「相武は男子高だ、ってことは久住さんは他の学校の生徒だ」

 晴たちの地区とこの付近は学区が分けられており、まいこがこの近辺の学校に詳しくないのも仕方が無い。
 晴だって当時の担任に大学付属だし特進コースがあるから、と薦められなければ知らずに居たかもしれない。実はこれでいて成績は優秀なほうだ。まあ、伊藤もそのようなのだが。伊藤の身元を明らかにすることが出来そうで幸運にも近距離圏内で事が済みそうだとほっとした。
 直接学校に訊ねることは電話帳の例の如く止めたほうがよさそうだが、それなら市立図書館に行って過去の新聞を閲覧すれば何らかの記事が残っているかもしれない。このバカが学校で死んだ、という部分を記憶違いしていなければ小さくでも記事になっているんじゃないか。伊藤に関しては上手く事が運んだ。

「…あ」

 伊藤がまたあの虚ろな瞳で頭を抑えた。一度目を伏せて、ゆっくりと瞼を開く。

「彼女は制服じゃなかった」
「はぁ?」
「一度も彼女が制服を着ているところを見た事が無いんだ、いつも私服だったよ」
「ちょっ…ちょっと待て」

 図書館に向かうため立ち上がったが慌てて席に着きなおした。まいこはようやく復活したのか顔を上げたが何もわかってない表情だ。まいこの隣に一応腰掛けた伊藤が頭を抑える手をそのままに視線を下げている。

「菊谷君、僕らは同じ事を考えているんじゃないかな」
「…少しは脳みそ戻ってきたんじゃねーか」
「え、何?どうしたの?」

 今度は晴が頭を抱えることになった。

「久住さんが学生だって前提で考えてたな、完璧に」
「菊谷君?伊藤君?」

 二人を交互に見ながらひとり状況を掴めずにストローを咥えているまいこは小学生のようだ。見兼ねたように伊藤が口を開く。

「菊谷君は僕が男子校で久住さんが他校の生徒なら、久住さんの制服から学校を割り出そうと思っていたんだよ。」
「…けど、久住さんが私服って事は大学生もしくは社会人って可能性まで幅が広がっちまった。この辺に私服の高校は無いし…学校に行ってないってことだってあり得るしな。つまり」
「つまり…」

 加速した話にようやく追いついてきたまいこが遅れて狼狽える。

「久住さんに繋がる情報は、苗字、性別、美人、相武の生徒の彼氏持ちってことしか結局わからないってことだ」
「…はぁ」

 あ、こいつ、わかってねえ。
 苛立ちを超えて面白いほど、話の通じない奴だ。晴はそこで気づいた、幼稚園児あたりの子供を相手していると思えば、いきり立つこともない、と。

「つーまーりー、進歩したのは“相武”のって部分だけな、わかる?その上半端ない幅広い手がかりが下手にわかっちまって混乱気味って状況だ、OK?」
「お、おっけー」

 やっぱわかってないわ、こりゃ。
 溜息をついて晴は腕を組んだ。自分が考えなければ事は動かないのだ。
 もっと情報を寄こせ、思い出せと叩いてみても何も伊藤からは出ないだろう。それよりも私服情報を思い出してくれただけでありがたいとでも思ってやらねば。でなければ近辺の共学校・女子校の女生徒の制服を片っ端からウォッチングすることになっていたやも知れない。電話帳以上に変態っぽい、よかった、やらなくて済んで。

「…おいお前、高原市立図書館知ってるな?」
「うん、知ってるよ」

 高原市とは早見町、咲崎台駅の深山町を抱えた割と広範囲な市だ。相武高はこの駅前から徒歩10分ほど行った旭町にあるのだが、図書館は早見町とその旭町とのちょうど間にある。

「それじゃ、お前図書館に行って過去の新聞情報を閲覧してろ。こいつの死亡記事が載ってるかもしんねー、お悔やみのとこもしっかり見とけよ」

 混乱気味、と言えど、いつまでも右往左往していても仕方ない。晴の機転は早かった。どんな困難と思われる状況でもその最低の中ででも最良を最速で選び出し行動しろ、と教わった、祖母にだ。

「行ってって…菊谷君は?」
「俺は…こいつと」

 顎で伊藤を指す、不本意だがこれが最良、最短、そう言い聞かせる。

「相武に行く。ロマンチックモードで行くわけじゃねーぞ、まだらボケのスカスカ脳みそでも現場に連れてきゃ何か思い出すかもしんねえし、あんまり期待できないけど手がかりがあるかもしれない」
「じゃあ、私も行」
「馬鹿か、言ったろーが」
「まいこさん、男子校なんだよ。」

 宥めるように優しく伊藤が言う。地元に戻ってきたせいか伊藤は少し落ち着きが出てきたように思う。不安定な雰囲気と気配が薄くなり、それで姿もはっきりしてきたのかもしれない。そういうほんの少しの変化で簡単に霊体は変化する。このまま伊藤の記憶が蘇るのを期待しつつ、外堀も埋めていかねば。

「菊谷君なら相武の校内にこのまま入っても上手くやればばれないだろうし、言い訳が利く。そうだね?」
「お前、急にしっかりしたんじゃねえか?」
「なんだかね…少し頭がはっきりしてきたよ」
「それじゃ確認しておくが、お前が久住さんをいつも見てたのは“相武校内で私服でいる姿”だな?」
「ああ、そうだよ。場所も…その場に行ってみれば思い出せるかもしれない」

 伊藤の様子を見てまいこが安心したように笑う。半分ほど残っていたソフトクリームはもうすっかり溶けてただの白い液体になってしまっている。勿体無い食い方だ。

「わかったよ、私図書館に行ってる。それで、そこで待ってればいいの?」
「そうだな、とりあえずは新聞記事漁りをしててくれ。何かあったら連絡する」

 再度席を立つとまいこと伊藤もそれに倣う。図書館も相武もここからちょうど同じくらいの距離で逆方向同士にある。何かあっても電話一本で行き来もできる。思い出の現場で伊藤が何かを思い出すか、まいこが図書館で何か情報を得るか、どっちみちすぐにはどうにかなる話じゃないという腹は据わった。

「あ、伊藤君の下の名前ってなに?」

 溶けた白い液体と化したものと浮かぶ氷をゴミ箱の飲み残し捨てに流しながらまいこが聞いた。やっぱり勿体無い、だったら最初からメロンソーダにすればいいのに。

「…祐一郎だよ、伊藤祐一郎」

 伊藤は生前自分に付けられた名前を噛み締めるように言った。肉体を失ってこんな危なげな存在になってもまだ、この名を名乗っていいのか。かといってその名を失えば自分は何者なのか、なんて考えていたかは定かではないがそれほどすんなりとは彼は言わなかった。

「せっかく名前を聞いても死亡記事を探すため、なんて変だよね」

 まいこと伊藤は仕方なしに顔を見合わせて苦笑した。その苦笑はとても彼ららしくなかった。

「…久住さんを探すため、だろ」

 小さく呟いたのを聞いた二人は眼を見開き、そして飛びついて、まいこは手を、伊藤は肩を掴んだ。

「菊谷君っ!!い、いま、すっごい感動したっ!男前っ!!」
「君は…!口では憎まれ口を叩くけど心根は本当に…!」
「あー!もー!うぜえええええ!!!」

 はたから見れば伊藤の姿は見えないためまいこが猛烈にアタックしているようにでも見えるだろう。迷惑だ、すごく迷惑だ。
 店員や客らの視線を受けつつ外へ出る。目の前の通りをまっすぐ行き、大きな道路に出るとそこから右に曲がるのが晴と伊藤、図書館へ向かうまいこは左へ曲るように駅前から標識で指示されている。

「それじゃ、がんばって伊藤君、菊谷君」
「まいこさんも…よろしくお願いします」

 ぐっと親指を突き立てるまいこに伊藤は頭を下げる。

「行くぞ」

 晴が歩き出すと伊藤もまいこに手を振って追いかけてきた。後ろにいる伊藤を少し振り返って見て驚いた。

「お前っ…!」
「え?」

 それまで頭のほうから足先にかけてグラデショーンのように薄くなっていっていた彼の姿は今、その足先まではっきり見て取れる。幽霊に足が無いとはよく言ったものである姿だったのに、更に伊藤の姿ははっきりして通常の人間と変わらない。その通常の人間の目に映らない、という点しか違いがない。駆け寄るその足の靴の靴紐すら見て取れ、左足の靴が無いこともわかった。

「驚いたな…僕、靴を片方履いていなかったんだね」
「有り得ねえ…聞いたことないぞ、こんな…」

 ユサよ、よくもこんな非常識なことに首根っこ捕まえて突っ込んでくれたな、と6つ駅向こうの相手に恨みの念を送った。
 怨念で姿が醜悪に変化する例は知っている、けれど生前の姿を取り戻すかのようにこんな変化を見せるなんて。
 最初、伊藤の姿は前記の通り危うげな黒いもやだった。それから死亡時のグロテスクな姿へ、次は薄く透き通ってはいたが腰の下あたりまでの事故前の姿へ、そして鮮明に制服が見て取れる姿、最後に…この姿。

「何なんだよ、お前。摂理に反しすぎてる!正しい流れってもんがあるんだぞ!」

 生ける者が死へ流れる事は出来ても、死する者が生き返ることは出来ない。だが伊藤の姿はあまりにそのままに人間だ。晴やまいこほどの能力の無い者でも視えるだろうし、もしかしたら触れた感触を感じることも出来るかもしれない。

「菊谷君」
「だからそれ止めろ、気色悪い!」
「思い出したんだよ!僕は…校舎の2階か、3階かわからないけどそこから久住さんを見たんだ。彼女は校舎の裏のテニスコートとプールのある方からいつも来ていた、そっちから校内に入れば教員の目に付きにくいんだ。」
「それじゃ俺もそっから入ればいいのか?」
「ああ、あともうひとつ」

 今朝までの伊藤とは表情が違った。本当に死んでいるようには見えない、これが本来の伊藤の表情なのだろう。

「彼女の…隣にいたのは剣道部の稽古着を着ていた、背の高い男子生徒」

 寂しげに言うのは想い人が別の男と居る場面を思い出したからかと思ったのだが、それを察したかのように伊藤はかぶりを振って続ける。

「…多分僕が最期に見たものが、彼女たちの姿だ」

 伊藤はもう視線を落とす事もなくまっすぐに晴を見ていた。

 next→