4.恋故に、失言故に


 長い栗色の髪が綺麗な人だった。

 小柄で、控えめな人で、それこそ、人形のような作り物みたいに綺麗で、その姿がずっと焼きついて離れなかった。

 すぐに自覚したさ、これは恋ってやつだろうって。

 でも彼女の隣にはもう別の奴が居て、彼女の幸せそうな笑顔はそいつにしか向いてない。

 入り込む隙なんて無いさ、見れば分かる。そもそも接点なんて何も無かった。

 ようやく知ったのだって苗字だけ。告げられるわけもなく、ただ見ていただけさ。でも、それでもいいと思った。

 本当にそう思っていたんだ。





「てっめえの恋バナとかどぉーでもいいーしーぃ」

 こいつ殴りてー、と思いつつ晴は盛大な溜息を吐いた。

 放課後の視聴覚室はまいこの言うとおり人気も無く、誰かが来る様子も無い。のっぴきならない状況に突っ込みたいこと満載で、説明を求めたいような、関わりたくないような、やっぱり無かった事になんて出来なくて、詳しい話を聞こうとすると鳴り響いた予鈴を聞いて「授業が終わったらね!」とさも普通に言われて、「授業なら仕方無いな」とあっさり受け入れる本当の意味の人でなしと頷く雑魚霊に、お前ら順応力ありすぎだろ、と突っ込む気力もタイミングの失い、律儀に午後の授業を受けた。
 その後、二人と一つと一匹とはこの場所へ案内された。
 晴としては先に片付けたい議題があるのだが、ユサがまいこと伊藤に興味を抱いてしまっていてその話が始まってしまったのだが、何故だか伊藤の恋バナになってしまっているのは何故か。
 それはユサが自分のことをさて置き、彼に何故死んだかを覚えているか尋ねたことが始まり。

「これ、晴、人の話は聞くものだぞ、特に甘しょっぱい話は愉快だ」
「それ、甘酸っぱいだと思いますよ」

 伊藤がユサの言葉を正す。こいつらの順応力は異常だ。

「そうかそうか、あれだろう、青春と言うものだな知っておるぞ」
「青春、ですねぇ…素敵。」

 素敵とかいいからさぁ、なぁ。いやぁ、って頭掻くなタコ。と言ってもとにかくアウェーである事は揺ぎ無さすぎて、無駄を省くため飲み込む。完全に空気を読んでないのはまるで自分のほうみたいになっている。そんな馬鹿な。

「そんで、自己満してた奴が何で死ぬんだ?飛び降りだろ、あの怪我からして」

 様々な霊を見てきて、その状態からどうやって死んだかが判るようになってしまった。轢死、交通事故死、飛び降り、刺殺、首吊り、その類はだいたい見た事がある。その瞬間の姿のままさ迷わなくてもいいだろうに。最初こそえぐい姿を見てしまって吐いた事もあったが今ではすっかりグロテスクなものに慣れてしまった。
 そんなわけで伊藤のグロテスクバージョンでも全く問題なかったが、やはり見るなら汚くない姿のほうがいい。少しだけ視線をやった伊藤はやはり爽やかイケメン風…というか美丈夫。彼の着ている詰襟の学ランはどこにでもあるような、晴のものともそっくりで良く見れば少し色みが違うようだ。どうやらこの学校のものではないらしい。
 それは当たり前だ、そもそもこの学校に学生の自殺なんて事件は創設以来起こったことは無いのだ。生徒たちは面白おかしく自殺した霊が、なんて噂していたが事例が無いのは確かだ。だって学校創設時の生徒が祖母で、その娘の晴の叔母もこの学校の生徒だったから、そんな話は聞いた事が無いと裏が取れている。こいつは流れ者だと、晴には最初からわかっていた。

「…自殺じゃない、たぶん…あれは事故だ」
「たぶん?」
「よく覚えてないんだけど、どこかから落ちて…学校の、どこだったかな…」

 記憶を探るように頭を押さえた伊藤は一瞬虚ろな瞳を見せた。霊体になってから自分の死因を思い出せないのは良くある事だ。はっきり覚えているものもいればそうでないものもいる。きっと後者なのだろう、ただ自殺ではないと本人が言うのだからその可能性のほうが高いのかもしれない。

「詳細はどっちでもいいけど、ご愁傷様だな。」

 事故死なら痛ましい事だ、何とも運の悪い。だがだからといってそれに憐れみをかけるほど晴は慈悲深くは無い。

「ってゆーか、マジもんの死に損ないの話はどうでもいいんだよ!あんたわざわざ鳥居の外まで出てきて何しに来たのか忘れたのかよ」

 ぶっちゃければそんなことより、この面子が顔をつき合わせて言うことのほうが大問題なのだから。浮遊しつつも胡坐を掻くユサを指差すと、小ばかにするようにふんと鼻を鳴らすものだから血管の2.3本がぶちぶちと切れそうになる。

「安心せい、馬鹿者。儂が治めておるのだ、この程度の移動でどうにかなる様な杜などではないぞ」
「うるっせえ、そういう話してんじゃねえよ俺は!」
「御前は本当に…未熟よの、晴」

 呆れた、とわざわざ言うまでもないとばかりに今度は深い溜息をつく怪なんて、なんて怪らしく無いのだろう。誰だ、こいつに人間らしさと言うものの興味と知識を植えつけたのは。くく、と低く笑うのはそれっぽいのに、とユサの意味深な視線の先を追うとぽかんと口を開けたまいこがいた。

「…何だよ?」

 苛つきながらまいこに問うとはっとしている。こいついちいち反応するの疲れねーのかなと思う。

「菊谷君、俺って言うんだー」
「…あ」

 すっかり忘れていた、かぶるはずの猫を。未熟だと笑うユサのにやついた表情の訳はこれか。

「あ、いや!そのっ…!」
「もう遅いぞ、晴。この猫かぶりめ」
「あ、猫かぶりなんだ!そっかー」

 そっかー、で片付くのか!今まで築き上げてきた城が、厚い仮面が、崩れていった気がした。こんなヘマ初めてだ。

「いや、そっちの方がいいよ、僕とキャラかぶりそうだなーって思ってたし」

 最早、死すると人はどんな環境にも順応できるのだろうか。伊藤はライスにしますかパンにしますかと訊かれて当たり前にライスでと答えるような気軽さで、晴の仮面人格を切り捨てた。
 ああそうか、こいつがムカつくの猫かぶった時の俺とキャラがかぶってるからだったんだ。

「まあ、儂の事は気にするな。初羽之杜に身を置いているのだがな…この猫かぶり小僧とは腐れ縁と言う奴だ」
「初羽…初羽神社ですか?あの、大きな鳥居のある…和菓子屋さんの角を曲がったところの?」
「左様、あの店の豆大福を供えに来るが良いぞ。あれは良い物だ」
「そのままで食べられるんですか?いいなぁ、僕も空腹にはならないけど食べたいと思うことがあるんですよ」
「御主には未だ無理じゃ、だが食いたいと思うと言う事は…ほう」

 和やかに穏やかに、滞りなく3人の会話は続いていく。この場にいるのは頭数4、のはずだが。晴がぶーたれようが何しようが聞いちゃいない見ちゃいない。マイペースとマイペースとマイペースが集まると何と不思議、こうなるらしい。迷惑な。

「んー…」

 腕を組んでまいこが唸りだしたがどうせ誰かが相手するに決まってるので放っておいた。薮をつつくと何が出るやら知れたものじゃない。

「どうしたの?まいこさん」
「伊藤君が戻ってきたのって、それじゃないの?未練ってやつ?」
「そうだね、たぶん…ね」
「それじゃあさ、その未練って?」

 探偵気取りでフムフムとポーズをとるまいこに頭に手を当てて記憶を深く探っているらしい伊藤はきっちりと詰襟を閉めていて、生徒会あたりにいそうなタイプだと思う。まあ、だいたい惚れた相手に告白もせず見てるだけでいいなんて欲の無い奴だしなと納得する。

「…僕は、そうだ…あの瞬間」

 あの瞬間、そう言って伊藤ははっとした表情で顔を上げた。鮮明に記憶が蘇ったのだろう、その瞳が見開かれるほどに。

「それまでは彼女を見ているだけでよかった、でも」

 ユサが笑っていた。二人は気づいていないが晴だけはそれに気づく。

「このまま死んでしまうなら、僕の名前くらい知ってもらいたかった…そう思ったんだ」
「…そして気づいたら此処に居た、のだろう?」

 笑顔は消え、紫の眼が伊藤を射る。頷く彼に再度ユサは同じ笑みを向けた。その様子にも意図にも気づく風も無く、空気も読まずにまいこが両手を合わせて夢見る乙女ポーズをとる。

「それで…戻ってきちゃったんだね」
「ああ、それからと言うもの…今まで誰にも気づいてもらえなかったし、ようやく気づいてもらえたのかと思えばこっくりさんなんかしてるし、あんな扱いだし…まいこさんの優しさに感動して一度はもういいかなと思ったんだけど、何か忘れている気がして…」

 自然の摂理をシカトした理由がそれか、と言いそうになったが不毛な結果が見えているのでやめた。

「…純愛だねぇー…素敵だねー…愛だね!」

 愛は何もかもを乗り越える、とでも思っているのか阿呆。女のこういうところは理解し得ない。周波数が合わないなと晴が思う横で伊藤がまいこの手を取った。

「まいこさんは本当…いい人だよ!どこか彼女に似ているし!」
「えっ!そ、そう!?綺麗な人って言ったよね?そんな綺麗な人と似てるのっ!?」

 あ、こいつら同じ周波数だ。

「おいおい…そんな文句に騙されんなよ。ナンパの常套手段だろ」
「ほう、そうなのか、詳しいのう晴」

 聞こえない程度呟いたつもりがユサはしっかり聞いていたのだ。やっぱり喋らない方がいいわ、とユサのニヤつく顔を想像しつつ敢えて振り向かずに項垂れた。

「そうか…名前を知ってもらいたくて…そうだよ、知ってもらおうよ!」

 あ、いま、なんか聞きたくないこと聞こえた。咄嗟に耳を塞いだ。

「そうか…そうだね!」

 この際、喋ろうが黙ろうが関係ない。勝手に話は進んでいく、進んでしまう。

「ちょっと待て!なんでそうなるん」
「彼女は…苗字しか知らないんだ。久住さんていうんだけれど」
「久住さん、ね…佐藤とか田中じゃなくてよかったね。それで、伊藤君どこに住んでたの?」
「早見町…としか覚えてないんだ、ごめん」
「それって…大きい病院あるよね?昔、いとこが盲腸で入院した時に行ったような…」
「ああ、ある…うん、総合病院が近くにあったよ」
「結構近いよ、駅6つ先くらいじゃない。ねっ」

 ねっ、て…同意を求めるあたり、もしかしなくともその話には自分も頭数に入っているのだろうか。ユサは三日月のような眼でにやにや笑っている。

「俺、帰っ」
「駄目だ、楽しそうだからな」

 逃げ出したいにもまいこと伊藤には気づかれぬよう、ユサの霊力が細い糸のように晴の腕に巻きついていて動けない。ご丁寧なことにペットボトルに仕掛けたよりもより、濃密に凝縮され、例え上手く霊力を調節してみたところで切ることは出来ないほどのものでだ。

「…もー、やだ」

 リングサイドで燃え尽きたボクサーのように晴は椅子に座らざるを得なかった。その間にも話はどんどん展開していっていて図書館がどうの、明後日の日曜日に何時、という声が聞こえる。

「…それで、一番面白がってるあんたがこの街から出られないくせに」


 賑やか過ぎる二人を他所にどうせ巻き込まれてもう逃げられない運命を呪いつつ、拘束を解こうとしないユサを睨む。こちら側は狐面の側なのでその表情は見えない。

「のう、晴よ」

 紫色が鈍く光った気がした。思わず息を飲んだ。これは、そうあの時、初めてこの瞳を見た時のような。

「怖いか?儂の保護下に無くなる事は?」

 こちらを振り向いた彼のものは完璧に人ではなかった。姿かたちがではない、そう本能で理解する類のもので、そう思わされた。

「怖いのか?晴」

 二度問われて何故だか無性に腹立たしくなる。別にユサが哂っているわけでもない、ただ問われただけなのに。その問いも答えずとも済むものであるのに。

「…違ぇよ、怖くなんか」
「ほー、そうかそうかー、安心しろ御前等こいつが尻を拭うそうだ!」
「え、ちょっ」

 抑えられていた腕を強引に挙手させられ、やる気満々選手宣誓のポーズをとらされる。あ、これ、嵌められた?俺?

「わぁ、菊谷君!男前っ!」
「菊谷君…感動したよ!」
「儂が居なくとも、遣って退けると豪語しおった。いや、立派になったものよの。」

 何その目頭を拭うって演技、拍手とかいらねえ、何こいつら、うっぜえええええ。
 貧乏くじってレベルじゃねえぞ、と思いつつも間抜けポーズのまま抵抗する僅かな気力すらも、最早何もかも全てを奪われていた。

「燃え尽きちまったよ、真っ白にな…」

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