3.ユサ、学校へ行く


 ぜひとも娘を見たいと言っていたユサに、引き換え条件を出して何とか説得するのは骨が折れた。
 ユサはまいこを見定める――つまり力量が見たいと言ったのだ。

 “見えざる者”についてのすべてが解明されているわけではない以上、力量といっても簡単に計れるものではないが、一番てっとり早い方法はあて馬をぶつけてみることだ。
 自分に危害を加えようとするものからいかに自分を守り、そして敵を排除するためにどのような能力を使うのか。一連の流れを見るだけで相手の素性の大体はうかがい知ることができる。

 ユサも最初その方法を提案したが、晴はすぐさま却下した。
 ユサのあて馬は凶暴すぎるからだ。
 以前にもユサが人間に興味を示してちょっかいをかけた時は、気の毒に、相手は全身打撲の上、三日三晩狐の面にうなされたという。ユサに何の恨みがあったのかと事情を 聴くと「ほんの遊びではないか。何をそんなに目くじらを立てることがある?」と実にしれっとしていた。
 そんなユサの用意するあて馬といったら……。
 大体、ユサはなんにでも限度を知らなすぎる。そのたびに晴はユサの危険な茶目っけを思いとどまらせるため、交換条件を持ち出しては東奔西走させられてきたこれまでを顧みると……くそっ、思い出したらだんだん腹が立ってきた。そうですか。貧乏くじは俺が引くようになってるんですね。
 ともかく、ひっぱたかれた恨みがあるとはいえ、まいこに怪我まで負わせるようなことになるのはいきすぎだ。
 晴はもっと簡単な方法を用いることにした。


 翌日。
 騒がしい昼休みの教室は昼食を終えた生徒は出て行ってしまっているが、それでも騒々しい。
 晴はペットボトルのジュースを2本用意して、教室内にまいこが残っていることを確認した。
 まいこは今、机をはさんで向かい合わせに座ったクラスメートとトランプに興じている。後ろを向いているが、相手はこの間の女友達ではなく男子生徒らしい。あの一件以来、それとなくまいこの身辺をうかがっていたが、男女ともに友人は多いようだ。クラスメートだけでなく、他の学年にも親しくしている生徒がいるとかいないとか。今も実に親しげに相手の肩を叩いたりしながらくるくると表情を変えている。……それにしてもよく笑う奴だ。
 晴はもう一度ペットボトルの細工を確認してから、まいこにこの間のお詫びがしたいと話しかけた。何度も言っているように断じて俺は悪くないが、クラス内の人間関係には結構気を遣っているほうなのだ。余計なトラブルは抱えたくない。

「え!いいよーそんなの!それより、私のほうこそひっぱたいたりしちゃったのに……」
「全然気にしてないから大丈夫だよ。僕″も桃園さんが浄化できる人だなんて思わなかったしね。これ、よかったら飲んで」

 すっかり和やかムードになったところで彼女に渡したペットボトルには別段変った所は見えない。
 いや、『見えないようにしている』。
 実際には、物の怪であるユサの髪の毛で堅くフタをくくってあるのだが、常人はもちろんのこと、晴のような見える人間にとっても注意深く目をこらさなければ気づけないようにしてある。
 このフタをあけるにはユサの霊力のこもった髪の毛を一定量の力で切るほどの力をこめるしかない。あるいは――。

 晴は動向を見守るが、何故かまいこはありがとうとそれを受け取ったもののなかなかフタに手をかけようとはしない。
あれ、と彼女の視線の先を見てすぐ気付いた。一緒にいたクラスメートに遠慮しているのだ。
 しまったと思い、もう一人の男子生徒に自分の持っていた方のジュースを渡そうとして驚愕する。

「テメェ!浄化されたんじゃなかったのかよっ!!」
「アイタッ!」

 薄く背景の透けて見える彼の頭をゲンコで殴ると、ぽかっと小気味よい音までした。

「わー!菊谷君、いじめはダメーっ!!」

 まいこのかばう先には先日浄化されたばかりの伊藤君がいた。途中で止めたトランプの札までもっている。

「なんで、ここにいるんだよ?しかもトランプしてんなよっ!浄化された雑魚のくせにあっさり復活してんじゃねーよっっ!」
「そのはずだったんだけど、途中で戻ってきちゃったんだって。ね、伊藤君?」
「はあ?戻ってきただあ?」

 浄化された霊が途中で戻ってきただなどと聞いたことがない。前代未聞だ。摂理に反する!
 晴は伊藤君を疑わしげに睨み、そして違和感に気づいた。あのおびただしい量の血糊がない。
 それどころか折れていた足も、割れて脳みその飛び出ていた頭蓋も治っている。
 先日小突きまわしたときは、顔の半分は耕されたみたいにぐちゃぐちゃにつぶれていて顔なんかよくわからなかったが、改めて見てみるとなかなか女にもてそうな顔をしている。整った眉尻をさげて人の良さそうな照れ笑いを浮かべている姿は小型犬のスピッツのような人懐っこさが……ってそうじゃなくて!

「くっくくくく」

 これほど騒がしい教室にもかかわらず、その岩に染みいるような笑い声は晴にはっきりと届いてきた。ちょうど今は無人の教壇の上、中空あたりから。
 声の主は考えるまでもない。いや、できることなら考えたくもなかったが、まぎれもなくあいつだ。
 諦めて振り返ると、ユサが教壇の上で相変わらず重力を無視した髪の広がりとともに浮いていた。

「なるほど、確かに面白そうな娘だ」
「ついてきてたのかよ・・・」

 きょとんとしたまいこと至極面白そうなユサの対面に大きく舌を打つ。
 ついでに頭も抱えてしまいたい気分だった。

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