1.こっくりさん
「ほ、ほんとに出た」
「きゃー!!」
放課後、居残って降霊実験をしていた生徒達が、教室に突如現れた異形のものを目にして次々に悲鳴を上げる。それは、黒いもやのようだった。
彼らはこっくりさんなんて使い古された遊びで、本当に霊が出るわけないとたかをくくっていた。テーブル・ティッピングなんて自己暗示や集団催眠の一種だし、暇つぶしにちょうどいい遊びでしかないと、言い出しっぺの生徒自身が言っていたのだ。
仮にその間、ささやかな心霊現象(ほんのちょっと物音がしたとか、わずかに蛍光灯がちらつくとか)がおこってくれるくらいじゃないと面白くないとさえ考えていたのが、ふたを開けてみたら視覚ではっきりととらえられる何かが自分たちを襲ってくるなんて、誰が予想しただろうか?
ちょっとでも気分を盛り上げるために、自殺した生徒の霊が出るという噂もちょっとしたスパイスだと思っていた。
「こっくりさん、お帰りください!」
いいだしっぺの男子生徒がなんとかしようと10円玉にお願いする。すでに自分以外の参加者の指は離れてしまっていて、効果があるのかどうかもわからない。
黒いもやは、そんな努力をあざけるかのように男子生徒のほうへと近づいてくる。さまようようにゆっくりと、ふらふらと。
恐怖に足止めされた彼は、手近なものを投げつけて応戦するが、どれもがもやをすり抜けるだけだ。
あと2M・・・・・・1M・・・・・・30p……1mm
いよいよ眼前にせまった目も口も鼻もないはずのもやが、にたり、と笑った気がした。
「た、助けてっ……!!」
声にならない悲鳴が上がろうとしたその時、
がしりっ
空中に浮かぶ実体のないはずのもやを、人間の手がわしづかみにした。
そして、ぶんなげた!!
すんでのところで助けられた男子生徒は何が起こったのかわからない。ぶんなげられた霊のほうはもっとわからない。
実態のないはずのもやがよろけて尻もちをついた。
「……てめー、とっくの昔に死んだんだろーが。とっととあの世に行きやがれ」
ぶん投げた後の手首をこきこきさせながら現れたのは、彼らと同じ制服を着た男子生徒。
「菊谷!!」
菊谷はその場にいた生徒たちに外に出るよう促すと、もやにつかつかと歩み寄ってグーで小突きまわし始めた。
「だいたいっ、お前はっ、こないだもっ、俺にっ、負けたんっ、だろーがっ!もうっ、二度とっ、姿をっ、現わすんじゃっ、ねー!!」
リズミカルにぽかぽかと黒いもやをサンドバックのように揺らす。
最後はひじ鉄だ。
前回も菊谷はこの一撃で退散させていたのでとどめだと思った。
しかし、そこへ新たな珍客がまぎれこんでくる。
スパーンといきおいよく扉を開け放ちながら飛び込んできたのは、小柄な少女だった。
少女の制服をつかんで必死に止めようとしている友達の制止もきかずに、彼女はずんずんと菊谷に歩み寄っていく。友達のほうは教室にいる生ならざる者を認め、慌てて扉の影に隠れた。
「えーと、悪いんだけどいま取り込み中だから……」
言い終わらないうちに、パーンと乾いた音が教室にこだまする。
菊谷は遅れて熱くなった左ほほを抑えて、目を丸くした。
「クラスメートをいじめるなんて……最低!!」
目に大粒の涙をためた少女が平手のまま菊谷をきっと睨んだ。
呆然とする菊谷を横目に、少女が黒いもやにかけよる。
「大丈夫??けがはない?私、1−Bの桃園まいこっていうの。あなたの名前は?」
「ま、まいこ!危ないって!やめなよ」
「……そっか、伊藤君っていうんだ。私のことはまいこってよんでね。よろしくね」
扉の影からなおも制止する友達の声も届かないのか、桃園まいこと名乗る少女は介助するように“伊藤君”に肩を貸していた。
動揺しているのか、それとも感涙に肩を震わせているのかもやが揺れた。
「……もういくの?うん、じゃあまたね。大丈夫だよ、私が守ってあげるから!」
まいこの笑顔が導きとなったのか、伊藤君は徐々に薄くなっていく。
立ち込めていた陰惨な空気がうそのように、教室は馴れた放課後のけだるさを取り戻していた。
それまで物陰に隠れていたクラスメートたちも、恐る恐る入ってきた。
「まいこー!大丈夫?なんかすごかったよ?!今のって除霊??」
「菊谷、わりい、大丈夫か?」
活躍したふたりを称える声があちこちからかけられる。大丈夫、といおうとして菊谷は先ほど助けた彼が、霊との接触についてではなく、赤くなった菊谷のほほを指していることに気づいてまいこを見た。大丈夫だということをアピールしているのか、はじけそうな笑顔で胸を叩いている。
「いや、感心した」
「え?」
「なんでもない。お前こそ大丈夫か?」
……彼を含めて、誰も気づいてはいないのだろう。
まいこが黒いもやにとっさに肩を貸したのは、“伊藤君”の足が折れていたからだった。
足だけじゃなく、顔も半分潰れていた。おそらくは飛び降りだろう。
彼に寄り添ったまいこは“伊藤君”の血にまみれており、脳味噌や内臓の一部が髪やスカートにこびりついている。しかし、まいこを囲むクラスメートたちにそれは見えていない。
おなじく脳みその飛び出た頭をこづいて血みどろの手をした自分と、時々前髪から滴る血をさりげなくぬぐうまいこにしかわからない。
そんなグロテスクな光景を目の当たりにしても“伊藤君”に寄り添った桃園まいこという少女を、菊谷は記憶にとどめることにした。
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